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2009年7月

2009年7月26日 (日)

立て!鏡のような波頭の上に 49話 あの人いったい何時にここに来たんだろう~ふたりの世界

 お金の無い十九歳の二人は、そのまま海辺で朝を迎えた。裕士にもたれかかるようにルカは眠っていた。波音も、風音も小鳥の囀りさえも聞こえない。ふたりの鼓動だけが聞こえる。ルカの寄せた肩と裕士の胸の接した部分が汗でべっとり湿っていた。俺たち生きているんだ、と裕士は思った。目が覚めると裕士は、折角ここまで来たんだから七里ヶ浜のレストランに行こう、と提案した。ベルギーの人気店が日本に初上陸したお店で、朝のスクランブルエッグが人気メニューだと、図書館の雑誌でついこの間読んだ事を思い出した。

 バイクで移動した。江ノ島から七里ヶ浜までの海岸線に沿った沿岸道路は、気持ち良かった。からっとした抜けるような夏の陽気が暑かった。朝十時開店のお店に十時ぴったりに着いたが、既に長蛇の列。二階に有る入り口から1階の階段まで、二十人ほどの人が並んでいた。裕士とルカは階段の列に並ぶと、四角い吹き抜けの壁から見える目の前の海の風景を眺めていた。穏やかな波上を、戯れるように幾重ものロング・ボーダーたちがサーフィンをしているのが見えた。吹き抜けの建物の壁が額縁のようで、まるで絵画を見ているようだった。一時間してやっと、店内に通された。店内は満席だった。犬を連れている近所の人も居れば、県外から来たような観光客も居た。観光客はすぐ判った。服装が気合が入っているし、皆お決まりのように店の目の前に展開する陽光の海を思い思いに眺めていた。裕士は一人の女性に目が止まった。つばの大きな麦藁帽子を被り、顔の半分が隠れるような黒いサングラスをかけて一人でテラス席に座り、海を見ている。小洒落た店に輪をかけて、それ以上にお洒落な女優のような服を着て、自意識過剰に座っていた。でも、ちょっと待てよ。十時開店の店に十時に来た自分より先に店に入ったということは、長蛇の列の遙か前、午前九時にはもう店の入り口にスタンバっていたことになる。あそこまで気合の入ったお洒落をしてこの店に来ると言う事は、地元の人間ではない。―と、いう事は、前日に明日は鎌倉のあのお店にブレック・ファストを食べようと少なくとも午前七時には起きて、一時間程身支度をして、まあ少なくとも一時間は車を飛ばして、やってきたのだろう。否、一人で朝、鎌倉の海辺に来ているということは、傷心旅行で鎌倉プリンスホテルにでも泊って、朝一番で以前から雑誌でチェックしていたこのお店に来たのだろうか。いずれにしろ、センチメンタルに海を眺めるその女性は格好良かったが、その格好で朝一番に家を出てきた事を想像するとその気取りが間抜け過ぎて、裕士は笑いが止まらなかった。いや、だってあの格好で午前七時に出かけて来たんだぜ。粋な女性なら、アンニュイな日の暮れる夕方にぶらりと来て欲しい。

 そんな意味の無い妄想を裕士は、ルカに話していた。ルカは取りとめも無く笑って、裕士の話に頷いた。話をしながら、裕士は自分達は、周りにどう映っているのだろうかと思案した。付き合っているカップルに見えるのだろうか。まだ距離のある友達に見えるのだろうか。辺りをぐるりと見回す。超行列の人気店にやっと入ったお客達は、みなお互いのおしゃべりに夢中だったり、外の優雅な景色に見惚れている。多分、誰も俺たちの事なんか気にしてやいない。俺たちは今、大勢の人に囲まれているけれど、俺たちの世界は二人の世界なんだと裕士は思った。今日、この日にここに居たという出来事は、君と僕の二人が記憶していなければ、他の誰もが知る由も無い。そう思うと寂しいし人間て儚いな、と裕士はルカに呟いた。人の夢と書いて儚い、はかない。あー人の夢は叶わないのか。俺の夢は・・・―わたし、ずっとおぼえているよ―ルカはそう答えると、裕士の目を見て笑って、アイスミルクティーをストローで吸った。

 麦藁帽子の女優は、裕士たちが店に入ってから、一時間経過してから、店を出て行った。その間、アイスティー一杯で粘って、ずっと海の向こうを見て独り黄昏ていた。恋の疲れか、仕事の疲れか。いずれにしろ、それぞれの人にそれぞれの事情がある。

**************【次回へ続く】*********************

あー世間は抜けるような真夏日なのに、今日も仕事です。気分転換して小説を書きました。今日のインスピレーションはTiffanyの「ふたりの世界」。この時十六歳、初恋の人です。

注:この小説はフィクション(嘘)です。実在の人物、団体、事件などには一切関係ありません。

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2009年7月25日 (土)

立て!鏡のような波頭の上に 48話 彼女が助産師になりたい理由

「わたしね、中学三年の時に、お母さんを癌で亡くしたの。」

 ルカはぽつり、ぽつりとしゃべり出した。裕士は何も言えずにただ、聞いていた。

「高校受験を控えた夏、病院に見舞いに行くんだけどね、お母さん、『あんたは勉強しないといけないんだから、見舞いになんか来なくていい』って叱られてね。でも、抗癌剤も効かずに日に日に衰弱していくお母さんを放って置けなくて、お姉ちゃんとほぼ毎日お見舞いに行ったわ。あの年は雨の全く降らない、本当に暑い夏だった。照りつくように晴れ渡った健康的な空が、憎かった。」

 満月の月に雲がかかった。辺りがその分暗くなった。その暗闇を破るように、誰かの小さな打ち上げ花火がひゅるると揚がり、ぱんっと小さく鳴って弾けた。ルカは静かに続けた。

「お母さんの具合が安定したから、お医者さんがおうちに帰っても良いっていうので、久し振りに家に帰って来たの。丁度、湯河原花火大会の日だったわ。家族みんなでマンションの屋上に上がって花火を見たの。きらきらとした花火を見てるお母さんが本当に楽しそうだった。まさかあれが最後の夜になるなんて思わなかった。」

 ルカは顎を空に向けて仰ぐように上を見上げた。あの日の花火を思い出しているのだろうか。それとも、零れる涙を堪えているのか。判らなかった。

「次の日の朝もお母さんが元気だったから、『今晩はお母さんの好きな餃子を一緒に作ろうね』って約束して学校に行ったわ。そしたら、午後の授業中に呼び出されたの。お母さんが危篤だから帰りなさいって。病院に駆けつけた時は、お母さん人工呼吸器を付けられて、話なんて出来なかった。お医者さんが私たちを外に呼んで、『お母さん、苦しそうだから、モルヒネ打ちますか・・・』って聞かれて・・・。お母さんが少しでも楽になるならモルヒネ打って下さいって、お父さん答えたわ。でも、お母さんの息が絶え絶えになって・・・。もう駄目だって思われたのね。看護婦さんやお医者さんを呼んでも、事務的な対応しかしてくれなくて・・・。お医者さんもほかの患者さんを大勢抱えているから、死んじゃうお母さんより、助かる患者さんを優先するのは、良く判るわ・・・。でもね、駄目でもいいから、お医者さんに最後はそばに居て欲しかったの・・・。私、病院を恨んだわ。家族にさすられながら、お母さんは息を引き取ったわ。手際が良いわよね。あんなに呼んでも来なかったお医者さんが、死ぬ瞬間にはタイミングを見計らって入り口に立っててね。お母さんの脈を取って『御臨終です。』って。そして、手際よく葬儀屋を紹介されて。客観的に病院は事務的には何の落ち度も無かったと思う。むしろ普通のよくある対応だったと思う。でもね、こんなシステマチックで冷たい病院、二度と来るかって思ったの。」

 親族の死に立ち会った経験の無い裕士には、想像すら出来なかった、否、想像することさえなかった話だった。

「その病院の前を通るとお母さんの最期を思い出すので、避けてたわ。でもね、二年後、お姉ちゃんが同じその病院で、子供を産んだの。お姉ちゃんはシングル・マザーを選んだから、出産には私も立ち会ったの。立ち会って、思ったの。これが同じ病院での出来事かって。生命の産まれる瞬間や場所って、何てきらきらして輝いているんだろうって。赤ちゃんの、『おぎゃー』っていう産声は、今でも鮮やかに耳元に残ってる。一方では人が死んで行くけど、一方では生命が誕生する。その時、生命の誕生に立ち会える助産師っていう素敵な仕事を知ったの。私は闇よりも光を見たいの。」

 そう言うと、ルカは笑って裕士を見た。その刹那、月にかかっていた雲が割れ、一条の光が差し込んで大海原を照らし出した。波一つ無い、鏡のような海面に光の道が浮かびあがった。

「綺麗ね。」

 目を細めたルカが呟いた。

「あの海の道を二人で渡って行けたらいいね。」

「うん、ユーシくんが連れてってね。」

 二人ははじめて口づけを交わした。月明かりの中、二人は一つの影絵になった。

**************【次回へ続く】*********************

注:この小説はフィクション(嘘)です。実在の人物、団体、事件などには一切関係ありません。

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2009年7月10日 (金)

立て!鏡のような波頭の上に 47話 彼が医者になりたい理由

 裕士は愕然とした。自分はお金を稼ぐために医者を目指したが、取り立てて成りたい医師像というものが無い事に気付かされた。赤ひげ先生のような篤い気持ちが自分にあるのかどうか判らなかった。病弱な自分を助けてくれた医師に感動して、はたまた、肉親の手術に立ち会って直してくれた医師が神のように見えて憧れた云々、といったことは全く無く、齢十九に成るまで至って健康、医者にかかった事は健康診断くらいしかない。ネットサーフィンをしていて、或る市の年収が公開されていた。その給与序列を見ると市役所の最高位たる市長は年収1千万円強。なんとびっくりしたのは、市長の上に「医師」が年収三千万円で君臨していた。これを高校二年の時に見て決めた。さらにネットサーフィンで辿り着いたのが、レーシックの執刀医募集の年収四千万円也。あーもうこれしかないと思った。週五日勤務で四千万円はいらない。週四日勤務で年収三千万円もあれば充分だ。医師の求人サイトには、週四日の募集も出ていた。

「レーシックの執刀医で、週四日勤務で年収三千万円で、あと三日はゴルフやクルージング三昧の医者になりたい。」

 とはルカに言えなかった。あまり不純すぎる。はたしてこんな金の亡者のような自分が人様の生命を扱う医者に成っていいのかさえ疑問に思えてきた。保険診療点数を稼ぐために、ホームレスを集めて入退院を繰り返させ、診療報酬を不正受給して逮捕された病院のニュースが頭に浮かんだ。黙り続けている裕士にルカは自分の動機を話してきた。

**************【次回へ続く】*********************

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2009年7月 9日 (木)

立て!鏡のような波頭の上に 46話 街角では少女が自分を売りながら あぶく銭の為に何でもやってるけど

 ――家ヲ出タイノ・・・裕士は、ユイとミカを思い出した。彼女達は、家を出て、自分の体を売ってでも力強く生きている。ある意味自由であり、輝かしい生命力に溢れている。裕士は軽蔑するつもりはなく、本心でそう思った。どこでも、どんな方法でも生きていける逞しいほどの生活力。尊敬の念さえ感じる。果たして自分はそこまでしたたかに生きていけるだろうか。

「だったら、今すぐ出ればいいじゃん。」

 ユイやミカに比べれば、じれったく思えたルカに裕士は少しの邪気を込めて言い放った。しじまが流れた。やがて、灯台の光が一周した。ルカは思い口を開いた。

「・・・、私の友達にも家庭の事情で家を出た娘がいるわ。私だってすぐにでも家を出たい。でも、高卒で家出をした女の子が働ける場所なんて限られてる。中には、売春まがいの事をしてお小遣いを稼いでいる娘だっているけど・・・、私にはできないわ。それだったら、死んだ方がましよ。」

 瞬きをしないまま話すルカの頬を一筋の涙が伝った。裕士は悪い事を言ったなと思った。ルカは続けた。

「あと半年だもの。あと半年我慢して大学に入ったら私の未来が開けるの。私が自立して生きていくためには、今は父さんの暴力に耐えてでも、看護学部に受からないといけないの。だから、あともうちょっとなの・・・」

 そこまで言うと、ルカは黙った。泣かなかった。蒼白い月明かりに照らされた目の前の海をキッと、見つめていた。瞬きもせずに、射抜くように。しばらくして、一回瞬いた時、線のように細くしずくが零れた。決して負けない、強い意志を感じた。針のように細い片足で、倒れまいと必死に踏ん張るフラミンゴ。凛として、美しいと思った。ルカは、きっと体を売るくらいの状況になったら、平気で名誉の死を選ぶんだろうなと思った。険しい山の頂きに咲く高山植物のような高潔さ。

「悪かったね・・・あと、少しだもんね。がんばろうね。俺が大人だったら、今すぐにでも連れ出してあげられるのにね・・・」

「ううん、今日こうして海に連れてきてもらっただけで元気が出たわ。明日からまた頑張れるわ。」

 ルカが笑った。それは、無理やり作った笑顔だったかもしれないけれど、彼女の強さのように思えた。ユイやミカのような生き方。ルカの生き方。どちらも、力いっぱい必死で生きている。いろんな生き方がある。自分はどう生きるのか。何ができるのだろうか。そう自問した裕士にルカは聞いてきた。

ユーシくんは、どういうお医者さんになりたいの?

**************【次回へ続く】*********************

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