立て!鏡のような波頭の上に 16話 離婚
裕士が6歳の時に裕士の父と母は離婚した。裕士の父親は税理士を開業していた。仕事で忙しかったらしく、裕士は父親を家で見た記憶はほとんどない。父親は本当に仕事が忙しかったのだと思う。子供の目にも、父は馬車馬のようにあくせく働いていたと思う。当時は広い庭のある一軒家に住み、おもちゃも目一杯買ってもらっていた。しかしある時、仕事で忙しいと思っていた父親に別の家庭があることが判った。父は終電を逃し帰れなくなった日には、その人の家に帰っていたという。そこで、その人は子供を身篭った。その晩、幼い裕士が寝ぼけ眼で襖の向こうに見た、怒号を上げている父親が最後の父の記憶だった。平日に、家で父の姿を見たのは、それが唯一の記憶といってもいい。木曜日の夜だった。その日は、雨が降っていた。ばたん、と扉を叩きつけて父は出て行った。以来、父には会っていない。
裕士の母は、女手一つで裕士を育ててくれた。母はスナックや工場やら職を転々としたが34歳、裕士が10歳の時に、小料理屋を湯河原で始めた。これが地元のお客に贔屓にされ、それなりに繁盛した。父親の姿はほとんど記憶にないが、母の姿は、いつも働いている印象しかない。外行きの服で着飾っている母の姿しか知らない。そんな母は子供の裕士から見ても美しかったが、小さい頃の裕士は寂しさだけが友達だった。生活は貧しくはかったが、裕福でもなかった。しかし、母は裕士の教育と習い事には惜しみが無かった。裕士は小学生にして、月曜から日曜まで予定がぎっしり。水泳、習字、公文、剣道、ピアノと習い事のオンパレードのスーパー小学生だった。
高学年になると、サッカーとラグビーと学習塾が加わった。その延長で、裕士は私立中学を受験する。しかし、不合格により地元の市立の中学校へ行く。中学でも私立の高校受験をするが、あえなく失敗。またしても地元の県立高校へ進学する。その県立学校は一応地元ではトップの進学校であった。そこでも、裕士は部活のサッカーと学習塾と英会話に明け暮れる・・・はずであったが、それは世を忍ぶ仮の姿。裕士は受験勉強で覚えた深夜ラジオの影響で、バンド活動に燃えていた。母親が用意してくれた英会話教室も全く行かず、その授業料はそっくりそのままCDの購入代と、スタジオ費用に化けていた。それがたたって、大学受験も失敗。
しかし、裕士は父の慰謝料の事を知って変わった。最近判ったのだが、離婚した父親からは、それなりの額の毎月の仕送りがあったらしい。父は東京で、大きな税理士事務所として成功したらしい。しかし、母はその金を生活には一切使わず、裕士の教育のみに費やした。裕士は、医学部を目指す事に決めた。父と同じ税理士にはなりたくなかった。弁護士や法律を使う、税理士と同じような仕事もしたくない。父親が文系なら、自分は理系に進みたかった。そこで、手に職をつけて稼ぐには・・・医者が思い浮かんだ。働き通しで、財産は築いたが、家庭を壊した父。その後、子供と自分が生きるために働き通した母。裕士は、自分と親を引き離した「仕事」というものを憎んだ。そして、どうせ、働かなくては人は生きていけないのであれば、コネも財産も何も無い自分が世を渡っていく方法は、大学に行って医者になることだと信じた。母は、医大の授業料を払う分くらいは父親から貰っている、心配するな、と裕士を励ました。
教育に惜しみなく投資してくれた母に応えるには、そしてこれまでその期待に応えられなかった自分がこれから出来ることは・・・医者になることだと、裕士なりに思っていた。そして、朝から晩まで働き通しだった母に少しでも楽をさせてあげたい、とも思っていた。
**************【次回へ続く】*********************
注:この小説はフィクションです。実在の人物、団体、事件などには一切関係ありません。



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