「立て!鏡のような波頭の上に」第一話
気がつくと蝉の鳴く季節になっていた。駅の裏山に覆いかぶさるように緑一色に茂った木々からは、絶え間無く、本当に絶え間無く蝉の鳴き声が聞こえてくる。裕士は、英語の教科書から覇気無く目を上げ、駅構内を見回す。ベビーカーに子供を載せて、ゆっくりと歩く若夫婦のキャンパス・バッグからは、シャベルと浮き輪がはみ出している。サーフ・ボードを縦に抱えて、裕士と年端の変わらぬであろう男たちが、次々と電車から降りてくる。ピンクや黄色の原色の薄いシャツに、ホット・パンツから健康的な足をこれ見よがしに伸ばしている娘たちの足指の爪先には、凸凹としたネイル・アートが施されている。みな海へ行くのだ。ここ湯河原駅は、夏真っ盛りである。
銀色の車体に橙と緑の線の入った登り電車が駅に入って来た。裕士は電車に乗り込むと、横一列のベンチシートに座った。あと一時間後に予備校の小テストを控えている裕士は、太股の上に鞄を置き、その上にテキストを広げた。その上に覆い被さるように目を落とすと、兎にも角にも詰め込めとばかりに、重要構文と英単語をぶつぶつと呟きはじめた。しかし、すぐに、気が散った。隣に誰かが座ったと思うや否や、下に目を落とした裕士の視界の脇に、ぱっ、と眩いばかりの女性の太股が飛び込んできたからだ。ふーっ、と大きく一息付き、裕士が負けじとテキストに向かおうとする。が、集中なんてできやしなかった。甘い香水の匂いがふんわりと裕士の鼻を襲撃し、次いで、ぴーちく、ぱーちく、女性たちが喧しく話し始めたのだ。
「さて、この前ユカがデートした彼氏の話を聞かせてもらいましょーか。で、その後どうしたの?」
「それがさあ、彼凄いお金持ちで、車は何かわからないけど、外車に載っててさあ。左ハンドルって外車だよねー?大学は慶応で、お父さんは医者で・・・(中省略)・・・で、多分凄く高いお店だったと思うんだけど、彼みんな出してくれてさー。」
「うわーっ、それって当りだよねぇ!ね、合コンしよ!合コン!」
聴く気が無くても、裕士の左耳を強引に分け入って、二人の女性の話は耳に入って来た。非常に程度は低いと思われるが、右の会話は、本当にそう電車の中で女性が話していたのである。二十歳前後の女性特有の町中でのあの大声でのしゃべくりは、実は周囲にも聞いてもらいたい自己顕示欲なのだろうか?
しかし、低レベルと思っても、今の裕士は非常に打ちのめされたのである。なぜなら裕士の第一志望は、慶応大学の医学部だったから。そして、その話をしていた二人組みの女の子がグラビアから出てきたモデルのように煌びやかで綺麗だったから。
「絶対、慶応に行ってやる!」
非常に動機は不純だが、二十歳前の男の衝動なんてそんなモノである。
そんな大いなる野望を抱いた裕士を載せて、東海道線の電車は予備校のある小田原駅に着いた。
テストの結果?推して知るべし。裕士は大きな溜息を付くばかりであった。あぁ、慶応医学部は夢のまた夢だと・・・
**************【次回へ続く】*********************
【突然思い立った。5日間で原稿用紙40枚書くぞー、書けるのか?あと37枚】
注:この小説はフィクションです。実在の人物、団体、事件などには一切関係ありません。



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