㈱TKC「戦略経営者」に連載中の「大風呂敷 後藤新平のリーダー学 :文 山岡淳一郎」の6月号には、後藤新平が浜口雄幸を「三顧の礼」で迎えた事が書いてあります。弊事務所で、TKCソフトを自計化導入して頂いているお客様には、毎月送付されている雑誌です。詳細は、ぜひ山岡淳一郎氏の記事を読んで頂きたいが、要約は以下の通り。
『1906年、初代満鉄総裁に就任した後藤新平は、国会答弁での確かな見識と威風堂々たる受け答えをする浜口雄幸に惚れこむ。浜口は、当時大蔵省で塩の専売事業を担当していた。後藤は10倍以上の俸給を提示し、満鉄理事に浜口を誘うが、「名利のため現地位を去るの非難を受くるは、余の最もいさぎよしとせざるところ」と浜口はこれを断る。
2年後、桂内閣で逓信大臣に就任した後藤は、逓信次官の座を用意して浜口を誘うが、浜口は再度断る。
1912年、第三次桂桂内閣で再び逓信大臣で入閣した後藤は、またも浜口を逓信次官として誘う。しかし、今度の桂内閣は政党に基盤を置かない超然内閣で、世論の厳しい批判を受け、倒閣運動が始まっていた。
浜口は、桂内閣が短期政権で終わるのを承知しながら、「天下は桂公に反対しているが、じぶんは後藤男爵の恩義に感じて立つ」と、後藤の誘いを承諾する。』
~その後の、後藤新平と浜口雄幸の行く末は、山岡氏の記事をご覧下さい。
浜口雄幸 ―のちに、「ライオン宰相」と呼ばれる首相に登りつめる人物である。鋭い皆様ならお気づきだと思うが、私が敢て書き添えると、この話のキモは2つ。浜口は金で動いたわけではない事。浜口は、良い時ではなく、難局である貧の時に後藤を佐けた事。
さて、「三顧の礼」は、三国志に出てくる人材獲得の真髄を表した故事である。劉備が諸葛亮を迎えようと、袖にされても三度礼を尽くして訪ね、ついに諸葛亮を迎え入れたという。
この時、劉備は48歳。諸葛亮は28歳。―普通、出来ます?いくら優秀な軍師と見込んだ人物とはいえ、自分の子供のような年齢の若者に袖にされて、3度も足繁く通えます?それほど、劉備は諸葛亮を必要としていたのです。
「三国志に学ぶリーダー学」村上政彦著 潮出版:には、人材を多用した武将―のちの魏王、曹操が、「渇するように人材を求める」様子が解説されている。曹操が、「求賢令」という令を出して人材を公募した文章が、成程!と唸る程の名文なので、抜粋してご紹介します。
『求賢令
古えより、天命を受けた天子、また王朝を中興した天子は、例外なく賢人君子の助けを得てともに天下を治めた。その賢者を見つけるためには、上に立つ者が積極的に探し求めなければならない。偶然にめぐりあえるものではない。現在、天下なお定まらず、いまこそ賢者を求めるべきときなのだ。
~中略~
諸君、余を佐けて民間に隠れている人材を見いだせ。ただ才のみこれを挙げよ。余はこれを用いるであろう。
~竹田晃訳:「三国志に学ぶリーダー学」村上政彦著 潮出版P30-31』
中略した部分には、多少の欠点や罪科はあっても、それを凌ぐ高い能力があるのなら、どんどん登用しよう、といった事が例を挙げて述べられている。
会計事務所の仕事を全うする―ミス無く、納期を守り、お客様が満足してくれる―ただ、この一点のみのために、私は賢者を積極的に探し続ける。
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